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天正12年(1584)旧暦3月29日、豊臣秀吉と 徳川家康が生涯で1度、天下の覇権争いを演じた 「小牧・長久手の戦い」 小牧山に陣取る家康に対して、秀吉は兵3万を率いて 大坂を出陣。犬山城を経て楽田城に到着、対峙。 秀吉は6月、大坂に一時戻るが8月16日に再び 最前線の楽田城入り。 8か月間にわたり戦いは続いたが、奇襲・挑発 小競合いは続くものの膠着状態長し。 11月、秀吉が織田家次男 信雄に講和申し入れ。 家康に相談なく応諾。やむ無く家康も三河に 兵を引き、戦いは終わる。 多くの豊臣方武将が戦死。戦術的には織田・徳川 連合軍の勝利だが、戦略的には秀吉の智謀が優り 天下人としての道をきわめ、かたや家康は臣従するも 豊臣政権No.2の座を得て、次なる野望を夢見る。 楽田城址は、名鉄小牧線楽田駅の南。徒歩3分 現在は城跡に犬山市立楽田小学校が建つ。 なお、楽田城は文献上、最古の「殿守」(天守)が 確認される城と言われている。
楽田城址












